今この瞬間に感じられる感覚はこの一瞬限り

不快感から逃げられない状況

ものすごい不快感を感じているのに、それをどこにも解放することのできない状況に陥ったことはありませんでしょうか。

例えば、明らかな間違いをしでかした。自分でも、自分がおかしたミスであることはわかっている。そして周囲の人も皆自分がしたミスであることをわかっている。けれども、周囲の人は誰もそれを口に出すことはなく、自分から言える状況でもない。誰を責めることもできず、この不快感をどのように解放したらいいかわからない。とにかくただ苦しい、そしてその苦しみのはけ口がない、と。

全身で不快感を感じると、その感覚が瞬間毎に変化しているのがわかる

このような状況に陥りましたらぜひとも実践してみていただきたいのが、「その瞬間の不快感を、全身で感じる」です。そのような状況では頭で何を考えようとその不快感のはけ口は見つかりません(頭で考えることによって「不快感のはけ口が見つからない」ということはわかるかもしれませんが)。

そんな中で「どうしよう、どうしよう」と雑多な思考をこねくり回したところで、焦りが増すだけであることは明白です。

そこで思考に逃げず、ただその時に感じられる感覚を感じておりますと、その不快感は時と共に必ず過ぎ去ります。

そもそもそのような感覚に全身が包まれるのも己がこれまで潜在意識に溜め込んできた感情的なエネルギーが表面化することによるものです。そのような感覚に身が包まれた時に「嫌だ、嫌だー!」と考えてしまいますと、「嫌だー!」という思いが己の精神に蓄積されてしまいます。その時、ただその不快感を感じて観察していればその感情的なエネルギーは浄化され、その分精神が純化されます。

観察によって不快の電気信号を受け流す

人間は他のあらゆる生物と同様に不快を避け快を求める性質を持つのですが、そこで「嫌だー!」と機械的反応を示すのではなくただその時感じられる感覚を観察していると、だんだんと不快感にも影響を受けなくなってきます。

その時助けとなるのが、「ああ、これも所詮脳が作り出した生まれては消えてゆく電気信号の動きに過ぎないのだなぁ」という認識です。

その時に感じられる感覚というのはものすごくリアルで、現実そのもののように感じられますが、所詮は時と共に消えてゆく実体のない現象に過ぎないのです。ましてや「この世に存在する絶対的な感覚」などではありません。

「こらえる」とか、「耐える」というような精神的苦行を想定する必要もありません。「ただ、感じる」だけです。その感じ方は一瞬一瞬、移り変わってゆくことと思います。そして、その一瞬に感じられる感覚というのは、後にも先にもその瞬間だけなのです。

思考が作り出す仮想現実の世界から実感の世界へ

思考が作り出す仮想現実の世界から、この瞬間に感じられる感覚へと意識の置き場を移行させると、一瞬毎の充実感がまるで変わってきます。この瞬間に感じられる感覚というのはこれまでに感じられたどの感覚とも異なり、これから感じることはできないその瞬間限りの感覚です。

そのようにしてその瞬間に感じられる感覚に意識を向ける生き方に転換すると、今まで手段としていたに過ぎなかった歩いている時や電車に乗っている時といった瞬間も、充実してきたりします。

そしてその生き方を続けることによって、今まで考えもしなかった新たな世界が開けてくるかもしれません。