思考世界と感覚世界〜思考を道具にして生きる

私達は普段ありのままに世界を感じていない

私達が普段ありのままにこの世界を感じているかと言うと、そうではないようです。

私は1人で食事をする際、スマートフォンやテレビを見たり、考え事にふけったりせずに、その瞬間に感じられる味に意識をフォーカスさせるようつとめています。以前キャベツと卵の炒めものを食していた時、私が細かく切らなかったために割と大きめのキャベツの芯が入っていました。それをお箸で取り口の中に入れて、しばらくじっくりと噛みしめてみたところ、噛みしめれば噛みしめるほど口の中に甘みが広がっていくのが観察されました。一瞬毎に味はものすごいスピードで変化しているのですが、キャベツの芯から広がる甘みは噛むほどに増していきます。

程度の違いはあれ、今までもキャベツの芯を噛んだ際には口の中に甘みが広がっていたはずなのです。ですが、これまではそれほど口の中に広がる甘みに対して意識を向けていなかったがために、キャベツの芯を噛みしめている時に広がっている世界を認識できずにいたのです。

意識の置き場

通常私達人間は感覚の世界と思考世界の両方に生きています。意識の置き場を全てで100%とした時、何%かは感覚の世界に意識を置いていて、残りの何%かは思考世界にいます。現代人はその内思考世界にほとんどの意識を持っていかれており、思考世界で作り出されたあれやこれやに苦しまされています。食事をしている時にも何かを考え、歩いている時にも何かを考え、会話をしている時にも別のことを考え、シャワーを浴びている時も何かを考え・・・意識のほとんどが思考世界にあるために、感覚で感じられる世界をまともに認識できず人生から実感が抜け落ちているのです。

例えば、多くの人は朝通勤や通学の際に小鳥の鳴き声を聞いていることと思います。聴覚が音を認識できる範囲内において小鳥が鳴いていたとしても、歩いている最中に考え事に意識を持っていかれていると鼓膜は振動しているのにその音を正確に認識できないのです。同じことが食事中には味覚や嗅覚において言えますし、起床中の視覚や触覚においても言えます。

現代人は思考によって苦しむ

現代人はとにもかくにも思考によって苦しんでいるのです。まだ来てもいない未来をあれやこれやと考えて苦しみ、もう過ぎ去って存在しない過去をあれやこれやと振り返って苦しみ。私達人間の中で、今この瞬間に完全に意識を向けて生きている者がいったいどれだけいるでしょうか?

私は思考を観察する練習をすることで、以前より思考に振り回されなくなってきました。今でも不安になったり、後悔したりすることはありますが、すぐにそれに気づいて別のところへ意識を向けることが比較的簡単に出来るようにはなりました。

思考を観察する練習をすることで、思考をコントロールできない暴れ馬から人生を生き抜くための力強い道具に変えることができたと実感しています。