日々の小さな積み重ねが大人物を築き上げる〜私達は今この瞬間も潜在意識に膨大なデータを送っている

「身を養うの食物は日々に三度要するごとく、理義の栄養物も間断なくこれを用いる要のあることは、少しなりともこの事に経験ある者の、よく知れることである。日々刻々の修養はこれを為しておる間はさほどにも思わぬが、それがだんだん集まり積もると、立派な人物を築き上げる。初めは苦しがりながら修養に勤めても、慣れてくると修養が身の肉となり骨となり、凡人と異なるところの人となる」

新渡戸稲造 「修養」

修養とは

修養とは、何を修め、何を養うのでしょうか。

国を代表するようなリーダーになろうと思う人は、まずその国を治めます。国を治めようとする人は、その前にまず自分の家庭生活がうまくまわるようにします。自分の家庭生活がうまくまわるようにするには、己の身体を律する必要があります。身体はどのように律するかというと、まずは心を整えることから始まります。

全ては心から始まっているのです。

現代で言うならば政治家のように国家のリーダーを務める人や、企業を引っ張るような立場になりたいと思う人、人々を率いてよりよい世界を作りたいと思う人がそれに値する人物になるにあたって最初に省みるべきは己の心、ということです。

己の心を支配し、エネルギーを自らの欲望を満たすことに費やすのではなく、志の向くところに投入する人であれ、という意味だと言えるでしょう。

養うというのは心を養うことを指します。人の心は白い糸のようなもので、真っ黒にも染まれば、青くもなり、赤くもなります。「修める」がエネルギーを志の向くところに投入することを指すのであれば、「養う」はそのエネルギーを向ける方向性を定めることとでも言えるでしょうか。

これをまとめますと、修養、修身養心とは身と心との健全な発達を図ることが目的と言えます。

上述の一節は、身を修め心を養うにあたっては日々の小さな積み重ねが大事である、その小さな一回を積んでいる時は大した事ではないと思えるようだけれども、それを積み重ねることによって10年後20年後には立派な人物になっているのである、という意味に解釈できます。

ほんの些細なことが人の人生を方向付ける

誰かの一言に対してイラッとしたとします。

それに対してちょっと嫌味なことを言いたい気持ちが生まれたとします。

その時にその気持ちにしたがって嫌味なことを言ってしまうのと、それをサラッと受け流してしまうのではその時その瞬間の出来事としては些細なことかもしれません。

ですが、嫌味なことを言いたい気持ちが生まれたらすぐにそれを口に出すということを続けている人はいずれそれが習慣となり、最後にはそれが無意識の機械的反応となるに至るでしょう。

それをサラッと受け流すことを続けている人も同様にそれが習慣となり、思ったことをその場で口に出すかサラッと受け流すかはその時の意思によって自分で選択することができるようになります。

私達は今この瞬間も潜在意識に膨大なデータを送っている

我々はこの一瞬も潜在意識に膨大なデータを送っています。そして、人生はこの一瞬の連続です。

どれだけ些細なことであっても、日々考えていることやとっている行動というのは常に潜在意識に送られていて、それがあなたという人物を形作っています。

我々は今この瞬間も将来に対する種をまいているのです。

普段何気なく考えていることやとっている行動が将来どのような形で発現するかを考えると、「あれ、この思考(行動)をしてて本当にいいのかな?」と、より自分の思考や行動に自覚的になることができます。

普段から自分の思考や行動に自覚的でいると、よく出てくる思考や行動がだんだんとわかるようになってきます。それはこれまでの積み重ねによってパターン化された癖なのですが、その思考の癖、行動の癖は認識することによって捨てることができます。すると無自覚の領域が減ってきて、より自分自身の心と行動を統制しやすくなります。

心に抱いたことが思考と行動に与える影響

私の例で言うと、大学時代は哲学にかぶれていて、なにかにつけて「この世に意味付けをするのは人間の脳である。人間の脳が存在しないのであればこの世に意味はない。よって、この世に先天的な意味はない(何をしたところでなんの意味もない)」などと難しいことを考えて、何に対してもやる気が出ないという時期がありました。

何かをやろうとすると、すぐに「でもどうせ、これやったって意味ないでしょ」「何やったって人間死んでしまうんだ」といった考えが頭に浮かんできたものでした。

するとそこから展開される思考と行動というのはご想像の通り、「やったって意味がないのだから適当にしておけばいいや」「やったって意味がないのだから面倒だ、やらない」といったものです。

この機械的な一連の流れから脱却したのは、私の場合は瞑想を通じて自分の頭に浮かんでくる思考を観察することを日々の習慣にしてからでした。

無自覚の領域が我々の日々の思考と行動を決めています。

無自覚の領域から生まれてくる思考と行動に対して無自覚であれば、無自覚の領域は無自覚のままとなるでしょう。

これを観察し、日々の思考と行動に対して注意を払うのであれば、無自覚の領域にひたりきった好ましくない思考と行動の種が溶けてゆき、人生が良き方へ向かいます。