稀代の国際人、新渡戸稲造の人生に勇気を与えてくれる8つの言葉

5000円札と「武士道」で有名な新渡戸稲造は、稀代の国際人でもありました。国際連盟事務次長も務め、世界平和に尽力しました。

牛歩的に遅くともよい。怠らず一歩一歩と進み行けば、やがて千里の遠きにも達するのは必然である。

新渡戸稲造は継続の大切さを説きます。発心(「こういうことをやりたい!」と思う気持ち)は誰にでも起こるが、それを継続させるのは困難であると言います。あなたには、1年続いてることはありますか?3年、5年、10年、それ以上続いていることはありますか。それは、一生続けられそうですか?今は自分の理想が遠くにあるように思えても、続けることによっていつかたどり着くのは物事の道理と言えるでしょう。

人の老若を定むるに、必ずしも太陽の回転のみをもって数うるに及ぶまい。自分の決心と実行とが両々相伴って、より以上の向上発展が実現されたならば、それこそ真の年をとったのである。

1年の経験を10回繰り返すのと、10年間経験を積み重ねるのでは10年後にいる位置が全く異なるでしょう。この一年でどんな成長がありましたか?この半年でどんな変化がありましたか?この一ヶ月で、一週間で、一日で何を学びましたか?

客を歓迎する方法は、食物よりも淡白に打ち解けた交際が必要である。

空中をカラカラと回るだけの定型的な決まり文句に満ち溢れた会話によっては人間関係は深まりません。あなたにとって、嘘偽りなく本心を語り合える友人は誰ですか?

逆境にいるものが心を冷静にし、「これ何ものぞ」という態度で研究的に逆境を看れば、その笑うべき薄っぺらな境遇であることが分かる。

ほとんどの悩みは自分が気にしているだけであって、他の人はほとんど全く気にしていないことが多いようです。自分にとってこの世界の中心は自分ですから自分に起きた不幸は一大事ですが、他の人にとってあなたは一キャラクターでしかないので気にならないのです。自分を離れて神の目線で今の境遇を見たとき、今の境遇に対する見方はどう変わりますか?

人間がこの世にある間は、主義が一致せぬからとて、他を顧みないで自分一己を潔うすることは決して最高の思想とは思われぬ。

人間は多くの場合「考えは人それぞれだから」と物のわかったようなことを言いながら、心の奥底では「でも、結局は自分の考えが一番正しい」と思っています。それはある意味当然で、正しくない考えだと思っていたらそのような考えなど捨て去っているはずだからです。そのように考えると皆「自分の考えていることは正しい」と思っているのですが、そう思っていながらも「なるほど、あなたの言うことも一理あるね」という態度を取れたり、「その通り、私が間違っていたようです」と自分の間違いを素直に認められる人というのは少ないようです。

武士道は知識を重んじるものではない。重んじるのは行動である。

「知っていること」と「実際に行動に移すこと」は全くの別ものです。知識が役に立つのは、それが活用された時だけです。

たとえ世間がほめたからとて、それでよい気になるのは大間違いである。その代わり世間からそしられても、決してそれに屈するな。

ほめられても動ぜず、そしられても動ぜず。人の目を基準とするのではなく、それ以上のものを基準とせよという意味が込められています。

学べども なお学べども学べども 学び足りぬは 学びなりけり

新渡戸稲造にしてこの短歌です。私達の学びはどこまでも続きます。