瞑想はいつも幸せな脳を作るためのトレーニング。誰かが自分を幸せにしてくれるというのはただの幻想。

今日は瞑想について書いてみたいと思います。

瞑想に決まりはない

私は瞑想を日々の日課にしており、椅子に座って瞑想をすることもあれば、布団の上ですることもあったり、キッチンの前で立ちながら瞑想状態に入ったり、電車の中でしたりもします。瞑想というと手はどのように組んで、足はこうして、呼吸はどのようにして、などと決まったやり方がありそれにそってやらなければならないとお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、全くそんなことはありません。むしろある決まったやり方に則ってやらなければ瞑想ではないという観念に囚われてしまいますと、かえって精神の自由闊達さが失われてしまうでしょう。

因果律に則り生まれてくる思考

椅子に座り目を閉じてリラックスしていると、自分の意思とは全く関係なく何かしらの思考が勝手に生まれてきます。今改めてどんな思考が生まれてくるか目を閉じてみたのですが、私は瞑想に少しばかり慣れてきたためかしばらく何の思考も生まれない状態が続きました(といっても、1、2分程度でしょうか)。1、2分程度その状態が続いた後に昨日行った友人宅のリビングルームのイメージが脳の左ななめ上らへんといいましょうか、そのあたりに浮かんだ気がいたしました。そのイメージには即座に気づき、特にとらわれることもなかったため一瞬にして消えていきました。またしばらくなんの思考もないまっさらな状態が1~2分程度続いた後、今度は昨日友人宅で交わした友人との会話が思考となって立ち現れました。その友人との会話が思考として私の意識に生まれた後、その会話に対してあれこれ考え始めている自分に気づいたのはそれから2~30秒後くらいのことでしょうか。何もない空っぽの状態からある考え事をしている状態に移り、自分があれこれ考えているということに気づいた瞬間にまた何もない空っぽの状態に戻りました。

瞑想とは頭に浮かんでくる思考を観察すること

今、目を閉じて何も考えない空っぽの状態になってみていただけるとおわかりになるかと思いますが、瞑想状態に慣れていない方ですと7秒から8秒くらい(人によってもっと長いかもしれませんし、あるいは短いかもしれませんが)くらいで何らかの思考やイメージが浮かんでくるのではないでしょうか。瞑想中はこれをひたすら観察し続けます。通常は頭に浮かんだ思考なりイメージをどこまでも広げていって妄想にふけったり嫉妬に苦しんだりしているのが人間の姿ですが、その思考なりイメージが生まれた瞬間にそれに気づいて流してしまう。するとまた別の思考なりイメージが生まれてくるのでまたそれに気づいて流す。ひたすらこれの繰り返しです。

瞑想によって思考と感情に振り回されなくなる

思考やイメージを観察して受け流すということに慣れてきますと、段々と瞑想状態において思考やイメージが頭に浮かんでくる回数が減ってきます。加えて、思考やイメージが生まれてからそれに気づき、受け流すまでのスピードも速くなってきます。すると普段の生活の中でも頭に浮かんでくる思考やそれに基づく感情にとらわれにくい体質になってきまして、人生が幸せな感じになっていったりもします。

思考が苦しみを生み出している

「物理的に痛い」というのは別かもしれませんが、それ以外の人間が感じる全ての苦しみは思考によって生まれています。

例えば死別による悲しみも、「もうあの人に会えない」という思考が大本にあります。その思考を出発点として「これまでのあんなことやこんなこと、楽しかった思い出、辛かったことを一緒に乗り越えた思い出、ケンカした思い出、どうしようもない時に助けてくれた思い出、そういった全てが思い起こされて悲しい」とか、「もうこれから先、あの人と話をしたり、食事をしたり、抱き合ったりすることはできないのだ」といったような情報処理を脳がすることによって悲しみという感情が生成されます。

その情報処理を「もうあの人と会えない」のところでストップさせたらどうでしょう?

「もうあの人と会えない」というのはただの状態を示している一文に過ぎず、それ自体には悲しいも楽しいもありません。放っておいたら脳はそこから「悲しい」とか「寂しい」といったより刺激を生み出す感情を生成する方向に向かってゆきます。ですが、例えば上記の例だと「もうあの人と会えない」で思考を止め、そこから温かい気持ちを作ることも出来ます。その人がそれまでの人生でしてきたであろう苦しみに思いを馳せ、慈悲の心を養うことも出来ます。思考を観察し制御することで、次にどのような感情を生み出すかをコントロールできるようになります。

瞑想は刺激を求めて暴走する脳を手懐けるトレーニング

楽しみや悲しみや怒りや喜びや・・・思考がある種の刺激を求めて暴走しようとしていることにすぐさま気づき、ストップをかける。瞑想はその練習です。

幸せを心が安らかな状態と定義するのであれば、幸せとは自らの精進によってなりえる状態のことであると言えましょう。誰か他の人があなたの脳の状態を一挙に変容させ、安らかな状態を実現させることは困難だからです。

誰かが幸せにしてくれるというのは幻想

白馬の王子様が現れさえすれば幸せになれるという考えが人を幸せにしない理由は明白です。素敵な奥様さえゲットできれば、人生幸せという考えの人が幸せになれない理由は明白です。その人は自分以外の誰かが自分を幸せにしてくれるという幻想を抱いており、己の内面に目を向けようとしていないからです。脳に大量のドーパミンを放出させ一時的な快楽を感じさせることであれば他人に出来ますが、あなたをいつも幸せな人にすることは他人にはできません。

瞑想とは、己の内面に目を向け安らかな状態へと歩んでいく道なのです。