〜思考・言葉・行動があなたの人生を支配する〜

「青年は前途に為すべき大なる希望、抱負をもっている。これを見越して元気を保存せねばならぬ。大切の元気を濫用すれば、これを失うのみならず、濫用の際悪い知識を受け、永久の大損耗を免れぬ。元気を濫用して悪事を為すは、ただただ一時の事だと思われるが、これがためにその後は常にこの悪事が深く頭脳に刻印されて、悪い知識となり、読書の際にも、人と談話する折にも、その悪事が髣髴として眼前に着いて回る。例えば頭脳の内に醜い刻印を捺したようなもので、一旦得たる悪い知識の印象は永久に拭い去ることができない」

新渡戸稲造 「修養」

頭脳に刻印された思考やイメージは顕在化する

浮気をしたとしましょう。浮気をしているその時は楽しいです。しかもそれが誰にもバレないのであれば、誰を傷つけることもないから大きな問題ではないと思うかもしれません。

ところが、浮気をした事実は強烈に頭脳に刻み込まれます。一緒にいる時の楽しい思い出のイメージや、どこかでしてはならないと思っていながら自分達の楽しみを優先する心や、誰にもバレないのであれば誰をも傷つけることはないのだからよいという自己正当化といった多種多様な意識状態の経験が頭脳に刻印されます。

その頭脳に刻印された思考やイメージは、ある状況下で必ず顕在化します。

例えばテレビでバラエティ番組を見ている時に、芸能人が笑い話として不倫の経験談をしていたとしましょう。

その時、今となっては笑い話にできる話題を差し込むことで番組の構成上はそこで視聴者に楽しんでもらうことを狙いとしているかもしれません。

ですが、浮気をした人間の意識には今自分が浮気をしているという事実が浮かんできます。

その時に浮かんでくるものはある思い出のイメージかもしれませんし、「これがみんなに知れ渡ってしまったらまずい!」という緊張感かもしれません。あるいは自分のパートナーに対する罪悪感かもしれません。

それは一瞬のイメージかもしれませんし、あなたの心をしっかりと捉えて憂鬱な気分にさせるかもしれません。表出の仕方というのは無限大ですが、意識の中に表出するということは確かです。そのような形で己のした行いというのはずっとついてまわります。

思考と感情を受け流す練習

仏教ではこれをカルマの法則として説いています。新渡戸稲造はクリスチャンでしたが、この世に流れている法則を語る際に宗教やその他の要素による教えの違いというのはないのだということがよくわかります(万人に適用される法則とはそういうものです)。私達が幸福な人生を歩むにあたっての教えに、仏教だのキリスト教だの〇〇主義だの☓☓派だのといった違いはほとんど無意味なのです。

現代的な生活を送っていれば怒りの感情が生まれることもありますし、人を憎む心が生まれることもあります。ですが、その生まれてきたネガティブな感情を増幅させるとその分より強烈に感情的なエネルギーが頭脳に刻印されます。

生まれてきた思考や感情は増幅させることもできますし、すぐさま「あ、こんな思考(感情)が生まれた」と気づいて受け流すこともできます。

そしてその気づく精度は練習によって上がりますし、受け流すことも簡単にできるようになります。

何度も何度も「あ、こんな思考が生まれたな」「あ、こんな感情が生まれたな」と気づいて受け流す練習をすることで、段々と思考や感情に振り回されない人生を送ることができるようになってきます。

温かいエネルギーを循環させる

それとは逆に、誰かの幸せを願う気持ちが生まれたとします。

その気持ちもしっかりと頭脳に刻印されます。そしてその時に刻印された温かい気持ちのエネルギーは、ある状況下でなんとなく温かい雰囲気や穏やかな表情、具体的な言葉、無意識レベルで感じられるオーラといった形で表出されます。

その時に刻印された温かい気持ちがこれまでに刻印されたネガティブな思考や感情と比べてごくわずかであれば、ネガティブなエネルギーにかき消されてしまうかもしれません。

ですが、誰かの幸せを願う温かい気持ちが充分に頭脳に刻印されていれば、その温かい気持ちのエネルギーが何らかの形で表出される確率は上がります。

こういったことを頭で理解することに、実質的な意味は何もありません。「お勉強」というよりは、どちらかと言うと筋トレに近いとでも言えるでしょうか。実践しないことには何も意味はなく、実践することで気づきと受け流しのパワーはどんどんと上がっていきます。

その先には、「なにがあっても大丈夫」という穏やかな幸せに包まれた人生が待っているかもしれません。