思考の観察を習慣にしていると人が何を考えてるのかや自分の心の動きがわかるようになってくる

以前ある人と話をしている時、その方が「自分はこんな有名人やお金持ちの人と親しくしている」という趣旨のことを次から次へと具体例を上げて話していました。話を聞く限り特段嘘を言っているようには聞こえないのですが、「私はこんな人達と知り合いなの。どう、すごいでしょ?あんた達とは違うのよ」とでも言いたげな様子であることが見て取れました。

私はそれをうなずきながら聞いていたのですが、後からそれに対して対抗したくなっている気持ちが働いていることに気付きました。私は大学時代に銀座のお店で働いていた経験があり、そこには一流企業の偉い方や会社経営者、芸能人などが多数来店しておりました。それをダシにして「ほう、そうなんですね。実は私もこんな人達と会ったことがあるんですよ」と言いたくなっているのでした。

上記のように端的に伝えるだけの言い方であれば聞き手からはそれほど押し付けがましくは聞こえなかったでしょう。ですが、「ほう、そうなんですね。実は私もこんな人達と会ったことがあるんですよ」と言いたくなっているその衝動がどのような考えをもとに生じているかと言うと、ざっと下記のようなもの。実際にはただ話を聞いているだけで何も言わなかったのですが、このような心の動きが観察されたのでした。

「へー、そうなんだ。けど僕は大学時代に銀座で働いていた経験があって、こんな会社の偉い人やこの会社の会長と会ったことがあるし、この芸能人と話したことだってありますよ。あなたは自分が有名人やお金持ちと知り合いであることがすごいと思ってるみたいですけど、こちらはそんなの全然なんとも思いませんよ。それに加えて、あなたは自分が「他人から一味違ったすごい人だと思われたい!」という衝動に駆られてベラベラ話しているということに無自覚なようですね。その点私はあなたと違って、有名人やお金持ちと知り合いであってもいちいち自慢話なんてしないほど心がキレイなんです。いえ、今私がそういった人達と会ったことがあるっていうのを伝えたのはちょうどこの話になったからですよ。あなただけが特別な存在じゃないんですよ、という現実をわからせてあげるために話してるだけなんです。必要に駆られてってことですからね、あなたとは違って。」

なんでしょうかね。心の観察を日頃の習慣にしていると、己の内にこのような大変醜い衝動が働いていることがわかってしまいます。これを直視するのは心がキレイな自分という自己イメージが崩壊してしまうため、最初は大変勇気のいることでした。

その上上記のような衝動が働いている、ということを認識した後には「こんな衝動が働いていることをきちんと認識して直視できる自分は、すごいね!」なんていう慢心が影のようについてまいります。

その慢心が生まれたことを認識したらさらにまた「慢心が生まれた、ということにちゃんと気づけた。やっぱり偉いでしょ!」ときて、あとはこれのエンドレス状態。

じーっと己の内側を観察してますと、普段は表面的な思考のノイズにかき消されて聞こえなくなっている心の声が鳴り響いてきます。

先程も申しました通り、その醜い心の動きを真正面から受け止めることは「立派な自分」という自己イメージが崩壊してしまうため大変勇気のいることでした。

ですが、これも慣れてしまえばなんともありません。「ああ、普段は気付いていなかったけどこのような衝動が深いところに眠っていたんだねぇ」といった形で、執着せずに受け流すことができます。

通常ここで刺激を求め爆走する性質を持つ脳はネガティブな電気刺激を脳にインプットするべく、「ああ、自分の心の内にはこんな醜い部分があったのだ!なんてダメな人間なんだ、、、」と自己嫌悪に陥ろうといたしますが、それも観察し受け流す。

どのような思考や衝動が生まれても、「ああ、自己顕示欲だ、慢心だ、自己嫌悪だねぇ・・・」といった形で執着せずに放っておきますと、次第にそういった思考や衝動は消えてなくなってゆきます。

それでもある状況下ではまた同じような思考や衝動が生まれるのですが、それもまた上記のように観察し受け流すということを続けていると段々とそれらの思考や衝動の生まれる回数と持続時間が減ってきます。

そして、少しずつではありますがネガティブな思考や衝動に振り回されない体質に変化してきていることを実感しています。