人間は他者との関係性の間で生きている

縁起とは

縁起ということについて書いてみたいと思います。

あなたがこれから夕食を食べるとしましょう。目の前にはお茶碗1杯のご飯、お味噌汁、かぼちゃの煮付けがおいてあるとします。

もしその食事をお母様が作ってくださったのであれば、お母様がいなければその食事があなたの前に存在することはありませんでした。お米をスーパーで買ったのであれば、スーパーの店員さんがいなければそのお米があなたのもとに来ることはありませんでした。そのスーパーの創業者がいなければそもそもそこで今手元にあるお米を買うことは出来ませんでしたし、その場所にスーパーを出店しようとした人がいなくても同じです。お米があなたの元に届くまでの過程にはお米をそのスーパーまで運んでくれた人がいて、その配達員を雇っている人がいて、そもそもそのお米を生産した人がいて、その人にお米の作り方を教えた人がいて、その人は色んな人の影響を受けてお米を作る仕事をしようと考えるに至って、もっと前にはそもそも「お米」という物を作って食べようとした人達がいて、それをこの国で代々受け継いできた人達がいて・・・

このように考えてまいりますと、目の前にあるお茶碗1杯のお米は膨大な数の人々が関わって今あなたの手元に存在しているということがわかります。お味噌汁に入っている1つ1つの具材にやお味噌汁という飲み物についても同じことが言えますし、かぼちゃの煮付けにしたって同じです。

あなたの人生は他者との関係性の間で進んでゆく

あなたが今そこでこの文章を読むまでに、あなたを生んだ母親がいて、その相手である父親がいて、あなたのご両親にもそれぞれご両親がいらっしゃって、これまで出会った全ての人から微細なレベルで影響を受けてこのような文章に興味を抱くような性格が形成されて、インターネットを作った人がいて、それを日本に広めた人がいて、このような文章を広く広めることができるプラットフォームを開発した人がいて、それら全てにおいて間接的に関係している膨大な数の人々がいて、書き手である筆者がいて、その筆者はこれまで数多くの人から様々な影響を受けてこの文章を書き広めようと思うに至って、今あなたはこの文章を読んでいます。

あなたが今所属している組織にしてもそうです。会社員であればまずあなたを採用しようとした人がいて、あなたを採用すべきかどうかを話し合う人たちがいて、あなたがその業界なり会社なり仕事なりに携わりたいと思うようなきっかけを与えた人がいて、その仕事に携わることができるような繋がりを作ってくれた人がいて、お金を支払ってくれる仕事を任されるような教育を施してくれた学校の先生たちがいて、日本の教育制度を作った人たちがいて、あなたが通ってきた大学や高校や中学や小学校を創業しこれまで運営してきた人たちがいて、その全ての人達から広がる人々の繋がりがあって、今あなたはそこに存在しています。

膨大な存在が織りなす縁起を理解する

人間は、人との関係性で生きています。たとえ無人島に住んでいようと、人は他者からの影響を受けて生きています(無人島に住むその人以外に人間が存在しないならば、その人は無人島に住もうなどとは思わないでしょう。いえ、そもそも無人島という概念が成り立たないでしょうね)。

それを頭で理屈をこねくり回して理解したつもりになるのではなく、本当に腹の底から体感したならば、「他人なんか知ったこっちゃない、自分さえよければ他の人はどうでもいいや」といった考えはなくなってまいります。

例えば食事の前に目を閉じて「この食材はスーパーの店員さんがいて、スーパーを出店した人がいて、お米の生産者がいて・・・膨大な数の人々が織り成す縁起によって、今私の前に存在している」という思考を育てるならば、見ず知らずの人を含めた他者に対する見方や接し方に変化が生まれてくることでしょう。

道徳論でもキレイゴトでもなく、人は1人で生きているわけではありません。他者からの影響なくして生きることはできないのです。この世界のあり様をありのままに体感することで、あなたに良き変化がもたらされますように。