対話について − 対話と議論の違い

対話というのは英語で “dialogue” と言います。”dia” というのは「〜を通して」という意味があります。”logue” はギリシャ語で「言葉」という意味です。”dialogue” というのは「言葉を通して」という意味ですね。この語源から “dialogue” というのは言葉を通して意味を共有し合う活動である、ということが感じ取れます。

次に議論という言葉の語源を見てみましょう。議論は英語で “discussion” です。”discussion” には「物を壊す」という意味があります。”discussion” では何かしらの事柄を一度バラバラに分解して、分析をするという意味合いが込められています。”discussion” においては、ある一つの命題に対してどちらの主張が正しいかということを複数名で話し合います。基本的には対立する二つ以上の意見があって誰が正しいかということを立証し合うゲームです。 A と B が対立しているという構造があります。

これに対して対話においては「誰かが勝つ」ということがありません。対話には議論とは異なった精神があります。対話の場では誰も他の誰かに勝とうとはしません。対話は勝者と敗者が存在しない場です。人を説得する必要も、話す目的を持つ必要もありません。ある人はある人に考えを共有し、別の人はその考えに対する理解を示そうとして「ここまでは分かる、ここからは分からない」といった形で 理解を深めていく活動でもあります。

扱われるテーマも対話と議論では異なります。例えば議論では「○○の売上を上げるためにはどのような戦略でどこに対して営業をかけていけばいいか」といった議題や、「 A と B どちらの政策が良いか」といったかなり具体的な話になるでしょう。A or Bに決着をつける活動です。

一方で対話では人間にとってもっと主観的で、根本的であると思われる問題を取り扱います。例えば人生の意味について、人は何をすべきかということについて、その人が信じるものについて、その人の人生観や、生き方、ある事柄についてその人が感じたこと、といったことを「客観的で論理的な意見を積み重ねていく」のではなく、 A さんは A さんがこれまで経験してきた人生全てをかけて語り 、BさんはBさんのこれまで経験してきた人生全てをかけて語る、そしてそれぞれの違いを確認し合いながら意味を共有していくという活動です。

上記のような事柄について対話をする際に、自分の意見に反する意見を聞いた時や、自分の持っている意見の矛盾を示されてしまいそうな質問をされたりすると、人は反射的で感情的な反応を示してしまいがちです 。人は自分自身と自分の持っている意見を同一視してしまうのです。

そして自分の持っている意見が否定されたと思ったら、まるで自分の人格を否定されたかのように思い、強い反発を示して自分の意見を守ろうとします。 対話にはそういった「自分の意見は無条件に正しい」という前提を排除して臨む必要があります。

もし自分の意見が正しいのであればそれを守ろうとする必要はありません。もしその意見が間違っているのであればそもそも守る必要はありません。このようなことを理解して、私たちにプログラムされた自己防衛的な反射的反応を示そうとしている衝動に気づき、自分の意見に対する無意識的な執着から離れる必要があります。自分の意見に対して異議が唱えられた時、まるで自分が攻撃されたかのように感じているその感覚を見つめて、そこから離れる必要があります。自分の意見と自分を同一視し、自分の意見を正当化しようとする圧力から離れなければなりません。そのような態度を保つことによって初めて、私達は対話の場に立つことができます。