無意識は嘘をつけない

ゆずれない価値観

皆さんには「これだけはゆずれない!」という価値観はありますか。「男たるもの、人前で泣くものではない」とか、「女性はいつもおしとやかじゃなきゃ」とか、「一生懸命働いて、お金を沢山稼ぐ人は偉い!」とか。

言葉にして表現したことはなくても、誰しもがこういった大事にしている価値観を持っており、無意識のレベルでその価値観に基づいた発言や行動をするように動かされています。話を聞いていると「ああ、この人はこういう価値観を大事にして生きているのだなぁ」ということがわかることもありますし、とっさに出た発言や行動でわかることもあります。

行動は無意識の反映

たとえ口では「俺は社長という肩書になんてこだわらない、偉いなんてまったく思わない。社長なんていうのはただの役割に過ぎないのさ」と言っていたとしても、いざ社長と相対した時に緊張している様子だったりペコペコしたりしていたりすると、心の奥底では「社長は偉い」と思っていることがわかってしまいます。

上述のようなことを言う方は、おそらくは「みんなは社長が偉いと思ってるんでしょ?でも、私は違うんだよ。どう?私って、みんなと違ってユニークな人でしょ」と周囲の人に思われたいのかと思われますが、とっさの発言や行動でそうでないことが露呈すると言ってることと心の奥底で思っていることが違うとわかってしまい、周囲の信頼を失います。

洗練された自己イメージを与えようとすることによって緊張が走る

心の奥底に眠っている本心が醜いものである場合、我々人間は得てしてそれを覆い隠そうとしてしまいます。ところが、心の奥底に眠る衝動を押さえ込み、キレイに洗練された自己イメージを周囲に与えようとすると本心とのギャップにより苦しむことになってしまいます。

「自分とはこれこれこんな感じで、すごい人なんですよ!」という周囲に与えたい自己イメージに合わせて常にその人格を演じなければならないとしたら、自然体の自分とのギャップにより常時心に緊張が走るような状態が継続されることになるでしょう。

加えて「この自己イメージが嘘であることを見抜かれはしないか」といつもビクビク怯えながら生きていくことにもなります。

そして多くの場合、周囲の人々は無意識のレベルでそのギャップを察知するので、「なんかよくわからないけど、信用ならない」といった印象を抱かれてしまうことになるのでしょう。

偽りの自己イメージを与えようとしている自分に気づく

カフェにいると「自分はすごいんだよ!」ということを無限に表現を変えて伝え続けている、というだけの会話を耳にすることがたびたびあります。

その表現は「実は僕、会社を経営しててさ」かもしれませんし、「今まで読んだ本の数かぁ、1000冊以上はいってるなぁ」かもしれませんし、「旦那ですか?六本木ヒルズの高層階に位置するこの会社に勤めてるんです(私はそんなエリートビジネスマンの妻なんですよ)」かもしれませんし、「まぁ、一応英語は話せますよ」かもしれません。

その背後には「わかる?自分はこれだけすごい人なんですよ」ということをわかってもらいたい、という衝動が働いているように推察されます。

そのような衝動が働いていることを己の意識に観察したならば、サラッと受け流したいものですね。偽りの自己イメージについてくる人と真の人間関係を築くことなど、できやしないのですから。